5年後の努力クラブの姿。
皆さんご存じの通り、我々は京都らしい卑屈集団でありますから、未来のことを訊かれても答えに窮するのであります。なんて難しいお題なんだ。ポジティブシンキングで考えようと思えば思うほど、現状とのギャップ、鬼よ笑え、とばかりに阿呆面ぶらさげて未来未来未来明るい未来! どうしたって明るい未来が思い浮かばないよって号泣しながらアスファルトの上ごろごろ転がって、それでも鬼は笑っているし、良く見れば嘲笑ではなくて、憐れんで優しい微笑みを浮かべている。鬼らしくない。鬼は鬼のような笑いを浮かべてこその鬼であって、そんな鬼らしくない笑顔など浮かべて欲しくない。鬼、心配してくださって、「努力クラブの未来は明るいよ」
僕など決してそれを信じず、鬼を邪険に扱って寂しそうに巣に戻っていく。その背中を見ては本当に申し訳なく思って、またあの無遠慮の笑いを見たくて、卑屈でなければ吐き気を覚えることをはじめとして衰弱してしまうのだけれど、それでもあの鬼の背中の切ないこと、あれにはいよいよ参らせれてしまってしまった。
そういえば昨夜、代表佐々木と真剣な会話をして、我々の今後について話したのだけれど、はじめのうちは意味のあるようなことを話したのだけれど途中から睡魔よくわからない会話になってしまって、未来思考力の欠如、我々の偉大なる欠点、思い浮かぶはあの鬼の背中、欠けた未来思考力をふんだんに駆使して、鬼のあの笑いを!
僕らの五年後は、未来、いよいよマニアックになっていって、未来、ただその頃の日本は、未来、ポジティブな人とネガティブな人が、未来、極端に別れていて、未来、彼らあいまみれず、ネガティブな思考、或いは卑屈感の解放とともに、その時流に努力クラブは乗っていて、治安の悪くなったネオ京都、他人への不信感が漂う街から、全く希望の無いような芝居をやり、それの旗手として我々、未来未来未来未来。って何を言っているかわからないと鬼は表情をしていらっしゃる。
それでもやっぱり懲りずにそういう人たちへ向けた芝居をやり続けられたらいいなあと思うし、ただそういうことをやっていればたぶんあんまりパッとしないだろうから、京都で細々とあまり人から誉められないようなことをやっているんじゃないでしょうか。劇団員関係者、誰も捕まってないといいですね。