冷凍うさぎの森岡です。こんにちは。
原風景。
原風景と言われると少し困ってしまいますね。冷凍うさぎは、何だか毎回色々やりたいことがころころ変わっているのです。少なくとも、作演をやっておる僕にとっては、前回とは全然違う、をどこか目指している節がある気がします。元来、飽きっぽいので、同じことや、前から何かを引き継いで、ということをするのが下手くそなんだろうと思います。
毎回毎回、その時その時の僕の個人的な問題と、興味のある(というかハマっている)題材と、試してみたい手法などのごった煮を作ってきました。劇団という体を成したのも、今回九回公演と言っておきながら、4、5、下手したら6回目ぐらいからかもしれません。(劇団員という区分が正式に出来たのは確か7回公演からだったように思います。)
そうなってくると、劇団の原風景というより、僕個人の原風景を語った方が早い気もします。
僕個人の好きなもののルーツという意味での原風景は、書きだせば作品や作家を幾つかあげることが出来る気がします、まずデカいところでサウスパーク、あるいは親父が持っていた映画のVHSの山、(中でもジュラシック・パークや、スターウォーズ、エクソシストなんかが好きでした。確か。)、筒井康隆、キング、漫画ならパタリロなど。そこらへんを小学生時分にガサゴソやっておった気がします。
こうやって書いていると、昔のことをあまりに覚えていないことに気づいてきます。上にあげた好きなものも、大きくなってから何度も何度も見返したり読み返したりして、記憶がごっちゃになっていて、ホントに小学生時分にハマっていたのかどうか、思い出せません。
小さい頃の思い出では、摂取したメディアよりも、実際に体験したオモシロの方が覚えています。
側溝の蓋に指を挟んで血をダクダク流している僕を見て、当時ほのかに好きだった女の子がドン引きしていたことに怒りと憎しみと悲しみが混じった何かを覚えたことや、トマトスパゲッティを食べた無邪気な僕が「これゲーみたいな味がする」と言ったら母親にぶん殴られたことや、その母親と父親が離婚すっぞ!と盛り上がり始めた時に、何だかお母さん可哀想だなと折り紙で何かを作ってプレゼントしたら、どういうわけか母親が泣き出したり、それまで僕を殴ったり怒鳴ったりしてた親父が、母親に物を投げつけられて、やめてくれぇと逃げ回った挙句、僕を盾にしようとしたり、とうとう母親が出て行って、一人ぼっちになった親父が、ぼくとマリオカートをしながら、明日からどうしよっか、と言ったときのことなど、他にもたくさん、オモシロがありました。森崎くん、元気にしてるかな?とか、戸倉ちゃんはやっぱ僕のこと好きだったのかな?とか今も気になったりすることがあります。
色んな映画を観たり、本を読んだりして学んだことの中で、最も、「やっぱりそうだったんだ」と納得したことは、この世に起きる色んな切ないことや悲しいことは、距離を置いてみれば、全部オモシロだということであります。上に書いた思い出たちも、今となっては皆オモシロとしてしか僕の中にありません。トラウマとか、そういう重くて、捨てられるものなら捨ててしまいたいものではないのです。むしろこれは、「あぁ、こんなに必死になって色々想ったりやっていったりしてるけれど、全部結局はオモシロでしかないよなぁ」というトラウマなのでしょう。親父が、コントローラを握りながら、「明日からどうしていこうか」と言ったとき、小学3年の僕は、何だか面白くいと感じ、親父ってバカなんだなぁと感じ、そして何より初めて親父が好きだなぁと感じたのです。この人もどうしようもなくて、んでも一生懸命難しいことを考えて、でも上手くはいかなくて、こんなことを子供の僕に言っちゃったりするんだなぁと思ったあの瞬間こそが、僕の原風景なのかもしれません。
あぁ、大事な作品を忘れていました。世界が如何にクソで残酷で野蛮で人間はゴミで卑小でどうしようもないが、それでも生き抜くことに、何かを為すことには絶対に意味があるという、価値感を刻み付けた、とっても高尚で、ものの見方をぶっ壊した大事な作品がありました。イーライ・ロス監督のホステルという作品です。見てない人は見ましょう。これが冷凍うさぎの原風景です。観ろ!これが世界の真実だ!